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連載コラム
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わたしを巡る風景vol.5 平賀達也さん (株)ランドスケープ・プラス代表

人々の暮らしの空間を豊かに彩るランドスケープデザイン。この連載では、ランドスケープデザインに第一線で関わっている専門家の方々に、ご自身の景観にまつわるお話を伺います。
第5回目は、2008年2月に(株)日建設計から独立し、ご自身の事務所である(株)ランドスケープ・プラスを立ち上げた平賀達也さんです。

(株)ランドスケープ・プラス代表
平賀 達也
(ひらが たつや)

登録ランドスケープ・アーキテクト。1969年徳島県生まれ。1993年West Virginia University卒業。1993年より(株)日建設計ランドスケープ設計室勤務。同室設計長を経て、2008年3月より(株)ランドスケープ・プラス代表。主な作品は、飯田橋アイガーデンエア(日本造園学会賞)、西鹿児島駅前広場(国土交通大臣賞)、ThinkParkほか。

――どんな風景が心に残っていますか

徳島県の海沿いの田舎で生まれ育ったせいか、開かれた場所が好きですね。四国は、空海が建立したといわれる霊場が八十八寺巡りの参拝システムとして残っているところです。家の近くにもお寺があって、人が拝んでいる姿というのを日常の風景として見てきました。そういう経験が、設計者になってクライアントに「人は自然に生かされている」なんてことを恥ずかしげもなく話せる土壌になっていると思います。

――作品づくりで大切にしていることは何ですか

人は誰でもずっと大切にしているものってあるじゃないですか。それは風景にも言えることで、東京でいえば一万年以上前から残っている地形だったり、鎮守の森だったりします。東京にもそのような場所がたくさん残っているのです。ランドスケープと定義するからには、「これ綺麗でしょ」っていう一過性のデザインでは駄目だと考えていて、誰もが大切な風景として残していきたいと思えるような場の設定を心掛けています。産業革命以降の近代化によって、人間は化石燃料を利用した快適性を手に入れた。その一方で、太陽の運行や風の流れなど自然の仕組みに対する感覚が麻痺してしまった。利便性の追求による弊害が、ヒートアイランド現象などに代表される都市の環境問題として顕在化しているのです。空に浮かぶ雲を見て明日は雨が降るかもしれない、といった感覚に対して自分自身は敏感でありたいし、私が設計した場所を訪れた人にも同様の何かを感じでほしいと思っています。

――思い出深い作品は何ですか

ランドスケープの新たなデザイン手法へと導いてくれた都市再生プロジェクト、飯田橋アイガーデンエア、三田三丁目ツインビル、大崎西口ThinkParkの3作品でしょうか。

どのプロジェクトにおいても、東京の歴史や環境と向き合いながら、それぞれの場所が抱えている問題点を、ランドスケープのデザインによって解決する手立てを模索してきました。 その中でも三田三丁目ツインビルは、その歴史的な背景や地形的な特徴から、都市再生プロジェクトとして「何を再生すべきか」という論点が明確であったと言えます。場所は、皇居から芝公園を経て品川へとつながる関東台地の最東端の崖地にあります。これらの崖地は第一京浜というブランド力の高い都市インフラに隣接しているので、近代化が進む中で、不動産の有効活用を理由に道路側に平坦な土地を求めた結果、豊かな崖線緑地の多くが削り取られたのです。 そこで、この場所を日建設計が手掛けることになったとき、ビルを建てる残土を盛って斜面緑地を復元するランドスケープのデザインを提案しました。周辺には環境ポテンシャルの高い緑地や、昔から大切にされているお寺などがたくさん残っているため、この場所を元の姿に戻し、地形的にも精神的にも分断されていた崖をつないでいくことで、何か変わるんじゃないかと考えました。 施主には「商売を上手くいかせるためには周辺の緑を取り入れていかないと駄目です」と言って、東京が肥沃な土地である証左として1万年前の縄文地形の話もしました。お陰で、プロジェクトのメンバーからは「縄文人」と呼ばれていましたが。

職人さんたちにこの縄文地形を感じてもらおうと、工事前にみんなで品川から現場へと歩きました。散策してみると崖沿いには巨木がたくさん残っているし、鳥もたくさん鳴いている。そうしたら途中で線香の煙に包まれた。なんだろうと行ってみたら泉岳寺があって、その日が赤穂浪士の討ち入りの日だったんです。みんなで工事の安全祈願をしました。 不思議ですが、そういうことがあるとプロジェクトって必ず上手くいくんです。何かが後押ししてくれているような気持ちになれて、職人さん達にも鎮魂するつもりでランドスケープをつくってださいとお願いしました。工事前に敷地の片隅にキリシタンの慰霊碑が捨てられていたんですが、かつて海が見えた敷地の中でいちばん気持ちの良い場所に慰霊碑を据えたところ、それまで空が真っ青だったのに、いきなり雷が落ちて雨が降ってきたなんてこともありました。これこそ雨が降って地が固まるということでしょうね。みんなの気持ちがひとつになったお陰で、不安定で不自然であった場所が気持ちの良い環境に生まれ変わりました。 春にはシバザクラが一面に咲いて、地域の人たちも多く訪れています。場所が本来の形で生かされるためには、不動産価値を高めるデザインが建築と一体で表現されなければいけません。そうしないと土地の所有者が維持管理してくれませんから。これは原則ですね。施主にも都市環境に寄与できたということで、大変よろこんでもらえました。

――3月に独立し事務所を立ち上げました。その経緯を教えてください

今年、39歳になります。日建設計に15年間勤め、その間に都市再生プロジェクトを多く手掛けてきました。昨年の秋に竣工した大崎西口のThinkParkでは、いままで観念的にしか表現できなかった環境というシステムを、コンピューターの解析による数値を活用することで論理的に説明することができた。新たなランドスケープの設計手法を確信した、自分の中で一区切りとなった仕事です。

アメリカから帰国して東京へ出てきたころは、満員電車に乗らなくちゃいけないし、空気は悪いし、ついでに女の子にはフラれるし、この街にまったく馴染めませんでした。東京では正直死にたくなかったですね。

でも、都市開発の仕事で街の人たちと関わり、それぞれの場所の歴史や人々の想いを紐解いてゆくうちに、一人の設計者としてこの場所と真剣に向き合わざるを得なくなった。そして何とかして、この場所を良くしていきたいと強く願うようになった。気がつけば、いつの間にか東京に恋をしていました。

東京という都市は世界的に見ても、劣悪な環境にあります。いま世界的に設計・建設市場は縮小傾向にありますが、これからの設計者に求められるのは「形態のデザイン」から「生き方のデザイン」にシフトしていくと思っています。そのためには、壊しつくりつづけるものづくりから、守りつなげていく生き方が設計者にも問われるはずです。日本の高度な環境技術に裏づけされたランドスケープ的な東京の都市再生手法が、地球温暖化に直面したこの星の先駆的事例となりうるのではないか。組織から独立し、より社会的で中立的な立場からランドスケープのデザインを東京から世界へと発信していきたいという思いが、事務所設立の根底にあります。東京と心中するつもりでいますが、浮気なんかしちゃうとまたフラれるかも知れませんね。

三田三丁目ツインビル エントランスホールから見る復元された斜面緑地 緑と風のつながりが都市の環境軸となる エントランスホールから見る春の斜面緑地 キリシタン慰霊碑へとつづく大階段 飯田橋アイガーデンエア 操車場跡地に誕生した緑の軸 皇居と小石川後楽園の緑をつなぐ並木 江戸時代の川の護岸石をつかった並木道 水と光のゆらぎが人々を広場へと誘う

――これからは、どんなことをしていく予定ですか

今は、この星が少しでも延命できるよう、エネルギー負荷の高い都市の環境を少しでも良い方向に持っていくランドスケープのデザインがしたいと思っています。一昨年、子どもが生まれたんですが、気がつくと笑顔でいることが増えましたね。ランドスケープの本質って、昔から大切に守られてきた風景や人々の想いなど、いろいろなものをつないでいくことだと感じています。子供を授かったときに、私がランドスケープでつなげたいと思っていたことって、結局は命なんだって気がついた。ランドスケープって、はるか昔から変わらない人間の根源にある想いを具現化できる、素晴らしい職業なんです。新しい事務所のランドスケープ・プラスという名前には、ランドスケープによって大切なものをたくさんつないでいきたい、という想いを込めています。誰もが大切にしたいと思える風景を守りつなげていく、命ある限りそんな仕事をしてゆきたいです。

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