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連載コラム
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わたしを巡る風景vol.4 忽那裕樹さん (株)E-DESIGN代表取締役

人々の暮らしの空間を豊かに彩るランドスケープデザイン。この連載では、ランドスケープデザインに第一線で関わっている専門家の方々に、ご自身の景観にまつわるお話を伺います。
第4回目は、活動プログラムを考慮したデザインで定評を得ている、関西で大活躍のランドスケープデザイナー忽那裕樹さんです。

E-DESIGN代表取締役
忽那 裕樹
(くつな ひろき)

ランドスケープデザイナー。1966年生まれ。大阪府立大学緑地計画工学講座卒業。鳳コンサルタント(株)環境デザイン研究所を経て、2000年、(株)E-DESIGN設立。堺市・自然ふれあいの森プロポーザルコンペ最優秀賞。大手町・丸の内・有楽町地区屋上緑化アイディアコンペ最優秀賞、中国四川省・成都置信未来広場、など。共著『都市環境デザインの仕事』『ランドスケープ批評宣言』『マゾヒスティック・ランドスケープ―獲得される場所をめざして』ほか。京都造形芸術大学、大阪市立大学、立命館大学、京都市立芸術大学の非常勤講師。雑誌『OSOTO』編集長。

――忽那さんの原風景をお聞かせ下さい

僕は大阪堺市の団地に小学校の5年生まで住んでいました。ちょうど団地群が次々と造成されている時期で、通っていた小学校は一学年が12組あって、隣にあった日本一のマンモス中学校は、一学年20組以上あったように記憶しています。体育祭なんかも3回に分けてやっていました。(笑)

そんな子どもの頃の印象に残っている風景は、団地を造る前の原っぱや田んぼ、雨が降るとできる水溜りの風景です。というのも、当時の僕らにとって、そこは絶好の遊び場だった。まだ用途が明確になっていない場所。さまざまな遊びが開発できる、まさにわくわくする冒険の場所でした。いまでもそういう風景をつくりたいと思っていますよ。「そのままの自然ではなく、かといって用途が決められてしまっているのではない、その中間のような空間。おせっかいなことをしない空間」をテーマにいつも考えています。

――そうしたテーマで取り組んだ事例を紹介下さい

神戸市・灘の高層集合住宅の公開空地のデザインです。ここは海に向かって斜面になっている場所でした。敷地は、細やかな高低差の処理をせず、山側に大きな垂直の擁壁をつくって造成し、平場をつくっていました。造成によって周辺と分断されていたので、敷地周辺の地形を参照して細かなピッチの等高線を引いてみました。その模型を見たとき、この場所が本来持っているべき地形の流れと等高線が錯綜する姿が、変化に富み魅力的だったのです。そこでその地形をそのまま階段状の広場としてデザインしました。

通常は採用しない幅の違う階段。地形の流れと植栽の島で構成した階段広場では、子どもたちがこの階段に上ったり座ったり、さまざまなゲームを考えて遊んでくれている姿に出会えます。ここが、皆が使い方を考える場所になってくれることを願っています。

現在、民間の仕事が7割、集合住宅のランドスケープデザインも多い状況です。他に仕事としては、コミュニティーづくりのためのイベントやプログラムづくり、ボランティアリーダーの養成など、デザイン以前のソフトの仕事も手掛けています。デザインと活動のきっかけづくり、そして、その後も長くそのまちとお付き合いすることが多いですね。デザインで関わった場合でも、その後の管理についてなるべく相談に乗るようにしています。管理の中でエンドユーザーの話を聞ける機会を大切にしています。デザインでは新しく挑戦していることが多いので、実際の使われ方や材質の劣化状態などフィードバックされることがたくさんありますからね。このことは自分たちの仕事の流儀として重視していることです。

神戸市灘 高層集合住宅 灘地区は製鉄所と共に育った街。隣接の鉄道からもヒントを得て、階段の蹴上げには鉄板を用いる。踏面には透水性の樹脂で固めた錆砂利を敷き、下からと上からの見え方に変化のある広場の表情をもたせている。

――思い出に残っている仕事は?

まちづくりでおもしろいのは、プラットホームのつくり方しだいで、コミュニティーがうまく形成されたり、されなかったりすることです。500世帯や1000世帯が一気に造られる集合住宅においても、コミュニティーが活動できるプラットホームが必要です。活動のきっかけさえうまくつくれれば、自然にリーダーが生まれ、その後の活動を支えてくれると感じています。

商店街も同じです。神戸の大日六商店街の震災復興とまちづくりは、1998年のコンペで入選し、この仕事を始めた時期に独立したという意味でも、最も思い出深い仕事です。震災直後からずっと調査に入っていた場所で、震災後のまちづくりをどうするのかを相談に乗っていました。当初は、商店街のアーケードを何億円もかけてつくり変えたいという話でした。半分を地元商店街で工面できたら、国が半分を補助するという事業です。とにかくそれをデザインする話。そんなことで復興するとは思えなかった。

そこで、ソフト・ハード両面から20くらいの提案をして、その中からやってみたいことを住民に選んでもらうことにしました。メニュー選択方式と名付けているやり方です。選ばれたひとつが、「このまちに似合う一文字」を周辺地区の住民と一緒に選んで、その一文字を旗にして10メートルおきに掲げることでした。色とりどりの旗がアーケードを彩り、訪れたお客さんたちと会話が生まれ、活気づくりのきっかけができ、アーケードも少し有名にもなりました。

また、商店街の一角に神戸市が管理している未利用の土地があったのですが、この小さな空き地を皆で管理する仕掛けをつくりました。「大日六にぎわい広場」がそれです。最初は「広場なんかで商売になるか!別の商業コンサルに変えろ!」と罵声を浴びせられたこともありました。こちらも黙ってはいません。「地域の人々と一緒に活動して考えていくことの大切さが、何でわからんのや!」と喧嘩もしましたしね。(笑)しかし文句言う人ほど、わかったら自ら進んでやるようになった。まず、地域で何ができるかを考えて、少しでも人通りが増えてから、各個店が、がんばればいいんです。各個店の努力も当然必要だけど、それだけでは地域を含めた大きな力にならないんですよ。

「大日六にぎわい広場」では、空き地の掃除から始まり、朝市や写真展をやったり、アートイベントを開催したり、鎮魂火という阪神大震災の祈りの場となるイベントも開催しました。2001年に、これらの活動が認められ、まちかど整備補助で300万円ほど出ることになったので、広場としてデザインしました。嬉しかったですね。デザインからではなく、使い方から入ったことで、まちの人たちが次から次へと活用してくれる。今ではまちづくりの基地として最も活用される場所となり、継続的な活動が評価され総務大臣賞までいただきました。

実際に使いこなす人々が、この場所を獲得したと思えることが一番で、獲得した場所が占有されることなく皆に開かれている状況が大切なのです。

神戸
大日六丁目商店街・にぎわい広場
地域の人々と選んだアーケードに連なる一文字フラッグが話題となり、活気づくりのきっかけとなった神戸大日商店街 大日六丁目にぎわい広場で行われた震災メモリアルイベント「鎮魂火」 商店街と中学校が協同して開いた陶器市 地域の子供が自分たちで当番を決めた広場の清掃活動

――ランドスケープアーキテクトという職業を選んだ理由

僕は中学・高校とバスケットボールに熱中していました。大阪の優秀選手で結構有名でしたよ。中学・高校進学時には、スカウトが来るほどでした。でも背が低かったこともあって、スポーツ推薦に乗るのは気が進まなかった。それで普通に地元の公立高校に進学して、朝から晩までバスケ三昧でした。いまだから言えますが、中学時代のバスケの先生は僕を夜のクラブやスナックに連れて行って、酒だ、歌だ、とやるんです。そのおかげで、試合中にいきがっている連中が子どもに見えました。若かったのでしょうね。当時、誰を見てもびびる気持ちがしなかった。人生勉強になっていたわけです。

大学進学を考える段になっていろいろ調べていたら、公共のものを計画してデザインしている人がいるということにショックを受けた、というより感動した。昔は、少々悪さもしていたので、校舎の窓ガラスを割ったり、先生と争ったり、公共のものにいたずらしりしていた(笑)。もちろん常に自分なりの正当な理由をもっていたつもりですよ。だけど「権威」や「みんな」という言葉が嫌いだったので、押し付けるなら、破壊してもいいとさえ思っていました。ところがその公共のものを一生懸命考えて作っている奴がいる、と思った瞬間に、今まで当たり前に見ていた街がぜんぜん違って見えてきた。ひとつひとつがそうなんだと思ったら、本当に気持ち悪くなるぐらいの感覚。それが、感動にかわってきて、俺もそういう仕事がしたい!と。それでランドスケープデザインというところに行き着いた。だから同じランドスケープに関わる方々からよく聞く、緑に対する興味や、かっこいいデザインをすることが動機ではなかったのです。

大学を出てゼネコンに入社したのも、裏方含めて、つくることすべてを見てみたいという欲求からでした。その後、鳳コンサルタントで吹田市の再開発にも関わることができ、公園だけでなく、アーバンデザインのなかでのランドスケープデザインを経験できたことはとてもよかった。この業界に入ってずいぶん経ちますが、本当に楽しいです。ランドスケープって何?と聞かれるとつらいですが、目に見えるものなんでもデザインができると思っています。

――現在進行中の仕事についてお聞かせください

現在進行中のプロジェクトは、大阪府箕面市の千里リハビリテーション病院のランドスケープデザインです。医療改革の中でリハビリテーションの方向性が示され、民間におけるリハビリセンターの重要性がうたわれています。病床数の確保やより充実したリハビリを提供するために、医療法人「和風会」がリハビリテーション病院を千里の地につくることになりました。

「人それぞれにそれぞれのリハビリがある。」という理事長のコンセプトに感銘を受けました。彼女が、外部空間とそこで行われるリハビリの可能性を追求したいという意向で、僕のところでランドスケープをやることになりました。屋外環境におけるリハビリにも器具が必要とされますが、それが器具らしく見えないようにベンチと植栽帯を兼ねたデザインにし、屋外の遊歩道にさまざまな仕掛けをして、散歩しながら機能回復できるような工夫をしています。園芸療法を含めた屋外でのリハビリでは、指導する人とされる人が、双方癒されることがあると感じていますが、人と人、自然と人が触れ合うなかでさらに癒され、リハビリに対すモチベーションが上がるきっかけになることをめざしています。園芸療法などを展開する方々と一緒にプログラムを開発する計画もあり、たくさんの行為が生まれる場所となることを願っています。

現在、第1期工事がようやく済んだ段階です。第2期ではいよいよランドスケープがかなりの部分を占める工事が始まります。ここにはリハビリのためのプログラムが多数埋め込まれているので、眺めて美しいことと、関わって楽しいことが共存する空間として、すばらしいものになると思います。また、総合プロデューサーとして佐藤可士和氏が起用されています。彼とのコラボレーションはとても刺激的な体験でした。そういった話題性もあるので、ぜひ楽しみにしていてください。

大阪府箕面市 千里リハビリテーション病院

眺めて美しい風景の中に、リハビリのプログラムを潜ませたランドスケープデザイン
石のベンチをランダムに配置した中庭。石と石との間隔の違いが歩行訓練に利用できる
四季の移ろいを楽しみながら散策できるツツジの小径。円形の石は、ベンチになり、それを伝って歩くための補助具にもなる
敷地の一番奥にある湧水の庭。背景の緑地と連続した静かな場所で、ひとりでたたずむことができる
レストランの前庭。石のオブジェは、小鳥の餌台になっている。木の実を啄ばむ小鳥を眺めながら一緒に食事をすることができる

写真提供:E-DESIGN

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