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連載コラム
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建築科研究vol.18東京藝術大学建築科〈後編〉 元倉真琴

文・構成・写真:大西正紀(mosaki)

インキュベーターとして才能を延ばす

吉村イズムから東京芸大はどのように変わりつつあるのか。後半では、より具体的な東京芸大建築科における建築教育について、そして今後のビジョンについて踏み込んでいく。

元倉真琴

卒業後、東京芸大とは距離をとり続けていた元倉さんは、2008年に東京芸大へ教員として戻ってきた。卒業から37年が経っていた。あのころから何が変わらず、何が変わったのだろうか。

「建築科内部で行われていることは、昔も今もそれほど変わりません。あくまでも課題を出して学生が解いていく。その繰り返しです。 ただ、変わったことといえば、やはり大学ではなく世の中が変わったということです。例えば、市役所の設計という課題があったときに、僕らが学生の頃は、ただ建築として解けばよかった。けれど、今は建築として解くだけでは答えたことにならないわけです。建築の社会性を意識して出題しなくてはいけなくなりました。」

このように、その時代の社会的背景によって課題をどう設定し、何を求めるかという悩みは、基本的にどの教育機関でも同じく持ち続けていることだろう。しかし、毎年入学してくる学生数も変わらず、その数わずか15名。しかも原則全員が建築家になりたくて入ってくる。このような少数精鋭の建築家教育を実践している建築系教育機関は世界でも珍しい。実際にはどんな特徴的なことが行われているのだろうか。初動教育にあたる一年生の課題について聞いてみた。

「一年生では、最初から設計をさせることはありません。毎年いろいろと試行錯誤をしていますが、この数年は基礎的なこととして吉村順三の「軽井沢の山荘」のコピーを行っています。まず、手描きのインキングで各図面を描く。さらに1/20の矩計図、軸組模型と軸組でない模型も1/20でつくります。そして最後に実物を見に行きます。これが最初の課題です。
代表的なもののひとつに、椅子の課題があります。ここではアイデアを決め、木の素材を選び、実物を実寸でつくります。期間までに終わりきらなくて、夏休みにまで作業が延長する学生も続出しますね。最後は自分たちで椅子の展覧会の企画を考え実現させるところまで行います。この課題はとても古くから続いていて、人数が少ないことや、工房を使うことができるからこそ実践可能な内容だと思います。
後期になると、少し建築寄りの課題となります。毎年、ある敷地を設定して、簡単な機能を想定します。毎週与えられたプログラムに沿って、学生は案を作成します。今年は、代々木公園の中のどこかに置かれるカフェを、一続きのシェルターを考え提案しなさいという課題でした。まさに建築になる手前の単純なものですが、それを一週間の間に案を9つくらい作りなさいなどと要求しますから、相当ハードなトレーニングになります。」

どの課題も、他の大学でもありそうな内容ではあるが、そこで最終的に要求される密度が高く、量が多いことがわかる。最初から設計はさせないとはいえ、その前段階での思考からアウトプットへの過剰でかつ良質なストレスを与えることで、設計デザインに対する折れない姿勢や精神力を育てようとしているようだ。
一年生での求められる課題は、ここにとどまらない。さらに歴史上重要な住宅のなかから10点セレクトし、全て1/100で作るという課題や、課題ではないが芸術祭(文化祭)で御神輿を制作するということも一年生の担当である。
一年生で、このようなハードなトレーニングをこなした後、ようやく二年生から住宅や小学校など、本格的な建築の設計課題へと移行していく。そこでは、ゲストの建築家を招き担当教員とタッグを組む方式をとる。

「ほとんどの設計課題は、大学の担当講師が行うのではなく、ゲストの建築家を講師として招いて、その担当教員とタッグを組んで行います。進め方はさまざまですが、僕の場合は、ゲストが出題し、エスキスは一緒にやっています。
僕が学生のころは、大学の担当教員だけで課題を行っていました。かつては東京芸大そのものが閉じていたんですね。それが、僕が大学へ戻った当時は、学部長の六角鬼丈さんを中心に各科にその領域や縄張りを越えようと動きがありました。建築科内でも、積極的に若手のOBや外部の建築家や研究者との関係を増やそうとしてきました。これからは、さらに先に進めていきたい。授業だけではなく、より外部との関係をつくっていきたいという方針を立てています。」

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