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連載コラム
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建築科研究 vol.15武蔵野美術大学建築学科〈前編〉 宮下勇

文:田中元子(mosaki)構成・写真:大西正紀(mosaki)

「建築教育」ではなく「武蔵美の教育」がここにある

宮下勇

日本の建築学科のほとんどは、理工学部や工学部といった、いわゆる「理系」に属している。武蔵野美術大学(以下武蔵美)建築学科は日本で数少ない、美術大学の建築学科だ。キャンパスには、これまでの教授たちの設計による校舎や各施設が建ち並ぶ。その中心に、武蔵美のシンボルとも言えるアトリエ棟がある。設計者は武蔵美で建築教育が始まった1964年、主任教授として赴任した建築家、芦原義信氏だ。東京大学工学部を卒業後、ハーバード大学でアメリカの建築教育を体験した芦原氏は、その経験から日本における美術学校の建築教育という新たな試みに、どのような影響をもたらしたのだろうか。そしてそれは現在、どのようなかたちで受け継がれているだろうか。今回は武蔵美の建築学科設立当初に入学してから現在に至るまで、教わる側として、また教える側として武蔵美の建築を体験してきた、武蔵野美術大学建築学科教授・宮下勇さんにお話を伺った。

「本校の前身は帝国美術学校といいます」
 帝国美術学校は1929年に開校、その後1948年に武蔵野美術学校と改称、1962年に武蔵野美術大学となった。帝国美術学校創設のための5名の準備会のなかに、建築家・今井兼次氏の名を確認できる。武蔵美がその歴史の当初から、美術教育のなかに建築分野を含むことを意識していたとも考えられる。しかし実際、建築教育が始まったのは1964年。当時はまだ学科として独立しておらず、産業デザイン学科に置かれた建築デザイン専攻としてスタートした。宮下さんも同年に入学、武蔵美の建築一期生となる。

「当時、産業デザイン学科の中には建築デザイン専攻の他に、工芸工業デザイン、芸能デザイン、商業デザインという専攻がありました。一年生の時は各専攻から数人ずつが振り分けられ、ひとつのクラスをつくる、というかたちだったので、グラフィックや写真、彫刻など、何を専攻している学生であろうと、全部を一通り教わるシステムだったのです。これは建築学科の教育を受けたのではなく、武蔵美の教育を受けた、ということだと思っています。美術に関する教育をまず受ける、と。これは今でも本校の大きな特色の一つだと思います。」

宮下勇

建築デザイン先行を経て1965年に独立した建築学科は「工学と美術のそれぞれの領域を超える総合的なアーキテクト教育を目指す学科」を目指して設立された。その中心人物として白羽の矢が建ったのは、当時法政大学工学部教授であった芦原義信氏だ。アメリカの建築教育を体験した芦原氏は、建築教育の目標として「工学的教養を持ちながら造形的な構成力のある建築設計家を養成すること」と主張しており、武蔵美の目指すものと一致していた。 芦原氏は武蔵美の建築学科創設において「在来の大学に見られるような構造工学的立場に重点を置くものではなく、未開拓分野でしかも社会的養成の常に強いデザイナー養成に力点を置きたい。具体的には、ランドスケープアーキテクチャーに志向する環境デザイン専攻というようなコースの設定も考えたい」と語っている。

このような構想をもとに、建築学科となる直前の「武蔵野美術大学学生募集要項概要」で、「新設課程(申請中)」としたうえで、建築デザイン専攻の学生が募集された。そこには現在にも受け継がれる武蔵美の建築教育について、受験生に向けての平易かつ熱い文章が記されている。

「我が国では、大学教育における建築学科は従来、工学部の中の一学科に過ぎない場合が多かった。そして、その教育も工学系教育に徹していた。その当然の結果として、世界一高い塔もできたし、地震にも耐えうる最新式のオフィス・ビルもできるようになった。しかし、都市全体としてみるならば、そこには、なにかかけたものがあるのではないだろうか。それは、建築工学以前にある計画(デザイン)である。」

続いて、海外では建築学科がデザイン学部の主体をなしていたり、あるいは美術学部に置かれているケースが多いことがハーバード大やイエール大のケースを挙げて紹介されている。さらに、建築デザインとはインテリアからアーバンデザインにまで包括するものであり、それによってより美しく快い「明日の空間」を創りだすものであると説かれ、そうした新しい理念に基づいた教育体系と教育組織をもって、武蔵美の建築デザイン教育をスタートする、と宣言されている。

一方、文部省に提出された「建築学科増設の事由」でも、このように書かれている。

「従来わが国の大学における建築の研究教育は、構造工学的傾向のみが顕著であり、そのため人間性に対応する生活空間形成のための計画については、その組織的な研究、教育が必ずしも充全であったとは言い難い。
本学が企図する建築学科は、現在わが国の建築教育に対して最も要望され、今後ますます重要となる建築デザインの研究と建築デザイナーの育成、すなわち、工学的知識技術に秀レテいるのみならず、室内から都市全体の環境に至るまでを、快適な人間生活のための空間として綜合的に計画し造形しうる人材を育成しようとするものである
多年にわたって、工業デザインの研究教育に力をつくし、その目標にそって教員組織、教育課程、施設、設備等の充実に努力してきた本学にとって、かかる建築デザインの研究とそのデザイナーの育成は、社会的要請にも応え、本学の責務であると信ずる」

このような創立当時の流れは、今も脈々と受け継がれていると宮下さんは語る。

「美術側から見ると、建築は美術の器でもあるわけですね。建築に美術という部位があると。だから美術系のなかに建築があるのは当然だったけれど、日本ではまだ芸大にしかなかった。芦原先生の教育思想は今も、当然のように流れ続けていると思います。どの専攻の生徒であろうとみんなが一緒みたいなものですから、日常のなかで互いに刺激を受けるわけです。」
 工学系の建築学科では発生しないような選択や進路も開拓される。
 「建築をやっていても途中から油絵に転科したいと言い出す学生もいるし。卒業生もそうですけど、本当にいろんな人がいます。たいていは設計に従事していますが、中には絵画やグラフィック、ウェブデザインに行った人もいる。美術教育をベースにしていますから、その応用が幅広いのです。さらに建築は、それらが論理的な説明に基づいていくんですね。
 建築を学んだ人の中には、組織を仕切ったり、政治家になる人もいますもんね。日本語では建築というと文字通り「建てる」「築く」だけど、英語ではアーキテクト。何かを構築したりまとめたり、という幅広い意味なんですよね。武蔵美の建築も、こちらの意味により近いんです。建物だけが建築家じゃないよっていう。もっと目に見えないものを整理するとか組み立てる、といったことを通じて生まれる、新しい造形や空間を考えていると。僕らはそういう美術教育を受けたつもりなんです。」


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