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連載コラム
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建築科研究vol.11 東北大学工学部建築・社会環境工学科〈前編〉

文・構成・写真:大西正紀(mosaki)

「今、仙台があつい!」そんな噂がされはじめたのは、2000年代へ入った頃だっただろうか。その背景には、今や時代のエポックにもなった「せんだいメディアテーク」の竣工と仙台市内にある建築系大学、特に東北大学の変革があった。2002年に東北大出身でアメリカから帰国した建築家、阿部仁史を迎えたことを皮切りに、数年おきに、建築批評家の五十嵐太郎、サイバーアーキテクトの本江正茂、建築家の石田壽一らを次々と迎え、さらに2010年の秋からは、東北大学大学院、都市・建築学専攻が、地域と連動する新しい教育プログラム「せんだいスクール・オブ・デザイン」を開校した。メトロポリスに属さないながら、世界に直接眼差しを向けて、建築教育を拡張し続ける東北大学の試みについて、学部時代からこの大学と共に歩んできた小野田泰明さん(東北大学大学院工学研究科教授、建築計画者)に話をうかがった。

東北・仙台から世界を見据えて

東北大学は、東北帝国大学を前身とし、日本で三番目の帝国大学として、1907年に創設。その後、1919年に工学部が設置されるが、この時は、まだ、建築学科は設置されなかった。やがて、1945年の第二次大戦の敗戦に伴い、帝国大学が国立総合大学になったことをきっかけに、後の建築学科は建築工学科として設置され、今年で創立56年目を迎える。

「東北大建築系学科の歴史の中では、建築家の小倉強(1893-1980:文部省の看板設計者から東北大学創成期の教授に転身、代表作に国立科学博物館(1931)、東北大学資料館(1925、旧東北帝大付属図書館)がある。)の存在は外せませんし、構造設計の第一人者、坪井善勝(1907-1990)が教えていた時代もあります。けれども現在の東北大で行われている建築教育との関係となると、筧和夫先生あたりからお話をするのが適当かもしれません。東大出身で日本の建築計画学の創始者、吉武泰水先生の弟子でもある筧先生は、東北大学の建築計画の基礎を築かれ、就任されてすぐに始まった工学部のキャンパス移転(1964年~)にも深くかかわられました。また同時期の学科の空気を表す重要人物として、農村計画で有名な佐々木嘉彦先生も忘れてはならないでしょう。今和次郎の弟子、遠野物語を著した柳田国男の孫弟子にあたる先生は、東北地方の農村文化丁寧な調査から、その社会構造や問題点を的確に切り取られ、わが国の生活学や家政学の発展に大きく貢献されました。つまり、建築の計画を介して人間生活をどのように近代的するかという当時生まれたての建築計画学を基軸とする思想と、建築そのものよりも背景にある日々のヴァナキュラーな生活から日本の社会構造に迫ろうとする流れが、東北大学と言う実験的場所で先鋭的に対峙していたように思います。もちろん、まだ大学にはおりませんので、あくまでこれは僕の想像ですが。

僕が教わった時代には、こうした流れ以外に歴史系の先生にもお世話になりました。当時東北大学の歴史系は、仙台城や東北の歴史的建築物の研究で有名な佐藤巧先生が中心でしたが、歴史家でもありながら、十三湊という津軽半島の古い港町に不思議な物見台を監修されるなど、不思議な建築を作られていた坂田泉先生には色々と教えを受けましたし、当時歴史系の助手だった飯淵康一先生には丁寧に設計を見ていただきました。」

筧和夫が、キャンパス移転計画を行っていた一時期は、大学にはその実務を担う助手も多く所属し、彼らが設計実務を行いながら、設計を教えていた時期もあったという。しかし、小野田さんが入学した1980年代には移転も終了し、設計を専門に教える先生は、大学にはほとんどおらず、大学教官が研究を行う傍らで設計を教えるという状況にあった。

「僕のひとつ上の卒業年次に阿部仁史さんがいました。阿部さんは歴史系研究室、僕は計画系の研究室。当時はその二つが、東北大のデザイン教育をひっぱっていたのですが、それでも、いわゆる著名建築家が腰を据えて設計を教えている訳ではありませんでした。それで、東京建築ツアーをしたり、みんなで車に乗り合わせて東北の古い建築を見に行ったりを色々とやりました。また阿部さんは、大学院生で"院生会"をつくって、建築にかかわるイベントにも取り組まれていました。当時、1980年代前半の東北大の建築学科には、建築設計教育に対する種の渇望感があったように思います。」

やがて1980年代後半になると、東北大出身で筧和夫の弟子の菅野實や佐々木嘉彦の弟子の近江隆ら、後に東北大教授となる計画系の先生たちが、これからは東北大でも設計デザインに、しっかり取り組まねばならないと動き始める。さらに彼らと東北大同期で、建築家高橋靗一のもとで修業を積んだ後、仙台に帰って事務所を開設する針生承一が、大学のデザイン教育を支援する。学部卒業後、3年に渡り、大学のキャンパス計画に関わっていた小野田さんが、大学の本務に専従となるのもこのころである。こうして、東北大学に非常勤講師として、名だたる建築家たちが招かれる条件が整ってくる。

写真左:小野田さんが1993年に書いた論文「設計教育に関する私的考察 – 東北大学建築学科における実践を通して -」。東北大学の設計教育カリキュラムと東京大学をはじめとした他大学のものとの比較や、在籍する学生へのアンケート調査を行い、東北大学の設計教育の問題を「内容・受けて・送り手」の三つの側面から論述しているもの。 写真右:論文の最後は、東北大学で90年代に行われてきた建築家による設計教育の評価がされている。写真は、伊東豊雄さんが非常勤として来ていたときの講評会風景。発表しているのは小野田さん自身だ。 写真左:小野田さんが1993年に書いた論文「設計教育に関する私的考察 – 東北大学建築学科における実践を通して -」。東北大学の設計教育カリキュラムと東京大学をはじめとした他大学のものとの比較や、在籍する学生へのアンケート調査を行い、東北大学の設計教育の問題を「内容・受けて・送り手」の三つの側面から論述しているもの。
写真右:論文の最後は、東北大学で90年代に行われてきた建築家による設計教育の評価がされている。写真は、伊東豊雄さんが非常勤として来ていたときの講評会風景。発表しているのは小野田さん自身だ。

「1990年に僕が助手に就いたころから、非常勤講師として建築家の方に来ていただき、スタジオ制の設計教育をはじめました。最初の一年に来ていただいたのは、高橋靗一さん。以後、二年おきに、伊東豊雄さん、山本理顕さん、石井和紘さん、隈研吾さん、石山修武さん、藤森照信さん、古谷誠章さんなどに来ていただいてきました。高橋さん、伊東さんの時は、僕はTA(ティーチング・アシスタント)的立場でスタジオを支えていたのですが、それまで実務経験はあっても、建築家に直接、設計を教わったことがなかったので、高橋さんや伊東さんに直談判して、学生と一緒に課題にトライさせてもらいました。」


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