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連載コラム
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建築科研究vol.8 坂本一成と東京工業大学<後編>
「大学が与えるもの・自分が学ぶこと」

坂本研究室の一期生だった奥山さん。一学年下にみかんぐみの曽我部昌史氏、二学年下にはアトリエ・ワンの塚本由晴氏、西沢大良氏など、活躍めざましい建築家たちがひとつの研究室で出会うことになる。坂本一成が彼らに与えた影響、今に続く東京工業大学の建築教育について掘り下げて伺ってみよう。

「議論の東工大」が生まれた経緯

対談1

「坂本先生がゼミの時にいろいろとお話をされると、何を話されているのか、当時の僕たちには全く分からなかったんです。多少の専門用語は飛び交っていても、基本的には普通の日本語なのに、でも何を話されているかそのときは分からない。それはとんでもなくショックで、ある種の恐怖でしたね。自分が今まで考えてきたことがとてつもなく稚拙だったのか、先生が話すことが全く違う言語体系をもっているのか…そんな時に頼りになるのは仲間ですよね。おい、さっきの話は何だったのか?とよく曽我部さんや塚本さんたちと議論しました。

少しずつ分かったのは、坂本先生が話される言葉はものすごく厳密だったのです。「空間」、「建築」、「環境」という一見単純な言葉一つひとつに何重もの意味を想定していてそれらを言い分けていたのです。とにかく一つひとつの言葉を厳密に扱われている。そして、それらをその場に応じて使い分けていたのです。今発した「空間」という言葉はこういう意味なのです、とその度に説明される。言語とは共有しているからこそ通じ合えるはずなのに、こちらはいいかげんな体系を持っていたものですから、共有できなかったのです。」

研究室ができた当初、たまたま居合わせた学生たちは、坂本一成の言葉ひとつひとつを受け、それを理解するために議論し続けた。それが大きなうねりとなって坂本研究室の基礎を築き上げていく。

「ですが研究室ができて数年経ち、所属する学生に厚みができてくると、それまで議論されたことがある程度研究室内で了解事項となってくる。だから新しい学生が入ってきても分からないことは先輩たちが教えてくれるので恐怖にはならないのです。僕たちは恐怖感があったから、いろんな角度から議論をするようになった。これが坂本先生が仕掛けた罠なのか、環境が作用したのか分かりませんが、どちらにしても坂本研究室では何よりも議論、手を動かすと同時に言語化することが重要視されていました。

ディスカッションを重ねることによって生まれる、生きた思想と、それを紡ぐ言葉たち。それが設計という結果でのアウトプットと同時に重要とされる建築教育の現場で育った奥山さんが、今なお研究を続けているのが「建築の言説」についてだ。それにしても大学の建築教育とは、多様であることを再認識させられる。第1回でとりあげた武蔵工業大学のスクールカラーはとにかく体力で勝負、手を動かせといったものだったのだから。

「東工大に戻られてからの坂本先生は基本的に、スケッチや図面を描かれなかったのです。こちらが描いたものに対して言葉で説明したり、ディスカッションをして、オルタナティブを出してその違いをまた議論したり。そういう中で建築ができていくんです。おそらく、先生が案を出す方がプロジェクトが早く進むのかもしれない。しかし、そこで固定化してしまうと、自由な世界がなくなるのではと思われていたみたいです。設計の最終段階では先生は徹底的に指示をしていきます。だから当然、空間の緊張感とスケール感は坂本先生独特のもので、坂本一成の建築になっていく。

一方、篠原一男は全く逆だった。

「篠原先生は具体的なスケッチを全てご自身で描いていたそうです。坂本先生とは一見、真逆ですね。篠原先生は研究室内コンペのような形式をとって、設計スタッフ各自にアイデアを出させることがあったそうんですが、篠原研出身の先輩の話では『たとえば10人のアイデアが出れば、今の若い人がどういう方法や問題に興味を持っているかが分かる。そうしたバリエーションから、建築的世界の現在を把握し、それらに対するオルターナティブを考え出そうとしていた』とのことです。つまり、そこらの人がやるようなことをやってはいけないと。そのプレッシャーは大変なことですが、篠原先生は敢えてそれをご自身に課したのでしょう。いずれにしても、篠原、坂本両教授はスタッフとのコミュニケーションを重要視していたのは確かです」

坂本研究室では、ほぼ毎日お茶を飲みながら議論を交わしていた。早い時は20分程度、しかし議論が白熱すると夜更けまで続いたという。

「もちろん、議論ばかり続けるわけですから、必然的に理屈っぽくなりますよね。けど論理で積み重ねていく先に建築がある。黙って図面を引き、模型をつくるのではない。ボリュームや機能を検討する前に、それはどういうイメージなのかと。そこへ一気に飛躍して議論する。それを論理的につめてうまくいかなければ、また別のイメージを出す。手と同じく、言葉を動かし模索していくんです。」

議論の場を設計する

篠原、坂本が示した、議論の場を設計する流れは、今の東工大に色濃く受け継がれている。それは特定の研究室、特定の方法論によるものではなく、現代の設計にとって何が大事か、いつも根本的に問い直そうとする姿勢だ。設計とはノウハウで成り立つものではないことを、ふたりの教授は教育現場で示し続けた。

「大学の外からご覧になっていると、篠原先生の時代だけカリスマティックな形があって、なぜそれ以後封印しているか、と感じられるようですが、そうではない。篠原先生は人類が築き上げた壮大な建築の歴史の流れの中で、それらに通底する根源的な空間を追求された。一方、坂本先生は有象無象、私たちがどうでもいいように思っている建築、日常的な住まいや町の中のちょっとした光景などすべてが、社会をつくっているエレメントであるとし、その現実の中から建築の存在形式を昇華させていく。一見、正反対の思想のように見えますが、実は、人間生活の総体が生み出してきた建築文化を大切にするという歴史観において、通底していたと言えるのではないでしょうか。」

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