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連載コラム
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家の知/討議 第7タームvol.33 “作り手”と“住まい手”の再考(3/3) 小嶋一浩×加茂紀和子×真壁智治

  • ゲスト 小嶋一浩(こじま・かずひろ) 建築家/横浜国立大学大学院Y-GSA教授/C+A(シーラカンスアンドアソシエイツ)共同主宰

    ゲスト

    小嶋一浩(こじま・かずひろ)

    建築家/横浜国立大学大学院Y-GSA教授/C+A(シーラカンスアンドアソシエイツ)共同主宰

  • ゲスト 加茂紀和子(かも・きわこ) 建築家/ ICS カレッジオブアーツ講師/みかんぐみ

    ゲスト

    加茂紀和子(かも・きわこ)

    建築家/ ICS カレッジオブアーツ講師/みかんぐみ

  • 真壁智治(まかべ・ともはる) プロジェクトプランナー/M.T.Visions

    モデレーター

    真壁智治(まかべ・ともはる)

    プロジェクトプランナー/M.T.Visions

新しい合理性獲得のために

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伊那小学校の図書スペース。
伊那小学校の図書スペース。

真壁:お二方のプレゼンテーションを見させていただいて一番興味深かったのは、作り手が意図して作り、送り出す感覚(「A感覚」)と、それを使い手が感じとる感覚(「B感覚」)との間に感覚共有があるということでした。例えば、ポストモダンの時代は「A感覚」のみで、使い手はそれを感じ取りようがなかった。それが昨今は変わっているわけです。恣意的な「A感覚」のみのものはなくて、「B感覚」を許容したり、受容したりという構造が基本にある。だから、宇土や伊那の小学校を見ていても、昔の象設計集団や原広司さんが設計した小学校とは全く違うわけです。
例えば教室をオープンにするという考え方は以前からあったけども、それは教育の原理としてどうプランニングするかということでつくられていたように思われます。それが、今のこういった小学校を見ていると、学校を設計している方々の意識は、教育の原理的なプログラムだけではなく、どこかで住宅のプログラムとも重なっているのかなとも思うわけです。確かにその方が、子どもたち、使う側は、より自然にその建物を受けとめられるのかなぁと感じますよね。

加茂:子どもにとっては、自分の家以外の居場所のような感じですよね。そういう中で、自分たちが愛着をもってコンタクトできる、共有できる空間があるかどうかは、とても重要です。だから、伊那小学校のときも、それまでに在校生みんなが愛着を持っていた図書館に焦点を当てました。そういう慣れ親しんでいるものやその特徴をどう使っていくかということですね。

真壁:伊那小学校のプランを見て、驚きました。図書館が中心にあって、その周辺に美術室とか、他の教室がある。本というものがコアにあって、本を見て下調べして絵を描いたり、理科の実験をするわけですからね。そこには使い手側のパフォーマンスを考えた上で、生み出された実験性というものがあるわけです。

加茂紀和子

加茂:こういう考え方は、観念的には合理的なんですが、一般的には、合理的に小学校を設計しようとすると、よく見られる片廊下型になってしまう。もちろん、あの形はショートカットで面積もコンパクトで、一見合理的に見える。でもそういう「普通」を一度疑って、その「普通」って何ですか、というようなところに立ち返ってみると、違うものが見えてくるんです。

小嶋:みかんぐみの伊那小学校は、もちろん雑誌を通しては拝見していたのですが、正直、きれいにつくっているなという印象だけで、何が原理でつくられているのかよく分かりませんでした。けれど、今日見せてもらって、やっと分かりました(笑)。途中で隣の家の人が家ごと提供してくれて、それを学童クラブとして組み込んだとか。これは、よっぽど大変な打合せをしないと作れないと思います。
どんなプロジェクトもたくさん議論をするほど、いろんな広がりが出はじめて多様になってくる。建築家は、それをどこかで整理したい欲望が出てくるわけですが、まぁ、よくもここまで作ったなと感心しました。きっと地域の人々は、本当にうれしいでしょうね。

加茂:愛着を持っていただければ、それ以上にうれしいことはないですよね。この学校の文化祭(開校展)はいつも地域の人がみんな来てしまうお祭りです。この学校の竣工のときも街中のひとがきてくれた感じでした。
ここでひとつ思うのでは、公共建築の使い手の人たちも、こういった公共建築が上が作ってくれるという意識ではなく、みんなで一緒につくっていけるんだと。そういう感覚がもっと広がればと思うのです。それが今日の「公共」というキーワードにもつながると思うのですが。

真壁:この10年、建築を巡る作り手と住まい手のあり方は、一層、変わってきていると思います。作り手の建築家もさまざまな方法論を採用しているし、住まい手も、ただ勝手なことを言えば済むという話ではなくなってきている。お互いがひとつひとつ体験を重ねながら、理想の建築なり、設計の方法を模索しているのだと思います。そして、建築家たちは、これから先は、その枠組みをよりはっきりさせなくてはいけないかと思います。

東日本大震災ワークショップ半島”へ”出よ

小嶋:そうですね。例えば小学校の設計にしても、いろんな建築家の人たちが、同時にできる状況が、僕はいいと思うんです。こういうことは2000年以降増えてきたように感じますね。

東北の被災地支援活動も15チームの建築家たちが震災以降、継続的に行っています。そこには何十人もの建築家たちが集まって、やっている。普段の設計活動では考えられないことですよね。それぞれのチームが復興に協力している地域は違うし、状況も違うのだけれど、例えば、土木コンサルの人たちがかいた、専門的な図面に対して、どうやって住民に理解してもらうかという問題については、全チームで共有しなくてはいけない。そこで、アトリエ・ワンの貝島さんの声がけで、今は月に1回、日曜日の朝9時半に集まって、勉強会がはじまっています。

真壁:建築家の側からの新しい発想や方法的実験に対して、多くの建築家たちが検証したり、共有化しようとする気運は大変心強いものです。

第7ターム 家の知/討議 動画配信

テーマ:「"作り手"と"住まい手"の再考」 at Coelacanth and Associates tokyo
小嶋一浩×加茂紀和子×真壁智治

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