BACK
連載コラム
ボタンを押して、BOOKMARKに追加できます。
BOOKMARKする

家の知/討議 vol.18第1・2ターム総括(後半)研究と設計の距離 真壁智治

  • 真壁智治(まかべ・ともはる) プロジェクトプランナー/M.T.Visions

    真壁智治(まかべ・ともはる)

    プロジェクトプランナー/M.T.Visions

「箱の家」に見る器と暮らしの逆転

(インタビュアー=大西正紀/mosaki)
---それでは、総括の後半は「家の知/討議」を通して、難波和彦さん、篠原聡子さん、高橋晶子さん、小泉雅生さんにうかがったお話から、ポイントとなったトピックをいくつか取り上げて、お話いただければと思います。

真壁智治

真壁:まず、最初に討議をはじめて大きな気づきとなったトピックが、難波さんのつくってきた「箱の家」が、実は日本における住宅作品群の今日的な一つの尺度になっているのではないかということでした。例えば、「箱の家」をひとつの基準として、家の基本性能やプラン、坪単価、外への開き方や、閉じ方といったものを比較していくと、世の中の住宅建築を見ていくときの尺度となって分かりやすいのではないかと。それには、研究と設計との間で、合理的な説明を行い、その裏にさまざまな実験を試みているからこそ、尺度たり得ているのだろうと思います。
 難波さんは、工法と環境、家族の3つの指標から「箱の家」をつくっているという中で、一番こだわりたいのは、家族の問題だということをおっしゃっています。そこに尺度を生み出したポイントがあるのでしょう。非常におもしろかったのは、1995年に「箱の家」がスタートし、当時は40~50代のいわゆる団塊の世代、子供が2人いるような比較的標準世帯がクライアントとして多かったが、それが2000年代に入り、20~30代に変わった。子どももこれから生まれる、あるいは生まれた直後の世代です。だから、"僕らは家族だよね"といった、その程度の自覚しかない人たちが、家族という幻想をかたちづくるために住宅をつくるようになった。このように「箱の家」が展開するなかで、家族の有り様が変わってきたということを、難波さんも実感しながら、特に最近の「箱の家」シリーズは、変容する家族を反映して設計しているというのです。

もうひとつ、その延長として、暮らし方の形式があり家というものをはめ込んでいくのではなく、家というものの中で暮らしをつくっていこうという動機の施主が多いという話がとてもショッキングでしたね。

真壁:難波さん、篠原さんとの討議に対して寄せていただいた西田司さんの寄稿文にも、"器と暮らしが逆転してきた"と述べられていましたね。これまでは、ありうるべき家族としての暮らし方の形式・定式があり、それに見合うような住宅が供給されていたけれども、むしろ今の建築家たちは、暮らし方とか、家のイメージのようなものを伝え、そこに住み込んでみる動機を高めながら、暮らしというものをつくっていくのだと。だから、器が先にあって、暮らしがあとから形づくられていく感が生まれているわけです。
 このような器と暮らしの逆転は、「箱の家」からもうかがえて、そういう意味から現代の住宅の尺度となっていることに納得させられます。言い方を変えると、「箱の家」は、今、住宅に求められているものを客観的にとらえる学の定点観測的シリーズなのですね。一見すると、合理的かつプレファブリケーション的な部分がクローズアップされがちだけど、家族の変容というものに対しても実験的な試みが行われている家なんです。そこが、読み解きにくい部分でもあるわけですが。
 難波さんのトピックとしてもうひとつ取り上げたいものとしては、一室空間というものは、家族の合意で成りたっているということ。もし家族の合意が崩れて、家族それぞれが好き勝手に住み始めてしまったら、一室空間は破綻してしまい、とても暮らせるような状態ではなくなる。そういったことも含めて難波さんは覚悟をした上でつくっているのだと感じました。
 「箱の家」シリーズは一室空間が前提になっているけども、それをクライアントが素直に受け入れるというよりは、"一室空間で暮らそうね"という家族内の最低の合意というものが見られないと、建築家の押しつけになってしまう。そのあたりをも難波さんは見極めているのですね。その一端として、一室空間の中で生じるさまざまな家族の暮らし方の不具合などを、難波さんはサーベイし、それを次の設計にフィードバックすることもしている。そういう形の研究と設計のあり方もまた大変好ましいなと私は思っています。

こちらのおすすめ記事もいかがですか?