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連載コラム
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家の知/討議 第2タームvol.11 二人の建築家を育んだ1980年代 高橋晶子×小泉雅生×真壁智治

  • 高橋晶子(たかはし・あきこ)武蔵野美術大学教授/ワークステーション

    高橋晶子(たかはし・あきこ)

    武蔵野美術大学教授/ワークステーション

  • 小泉雅生(こいずみ・まさお)首都大学東京大学院教授/シーラカンスアンドアソシエイツ(C+A)

    小泉雅生(こいずみ・まさお)

    首都大学東京大学院教授/シーラカンスアンドアソシエイツ(C+A)

  • 真壁智治(まかべ・ともはる) プロジェクトプランナー/M.T.Visions

    真壁智治(まかべ・ともはる)

    プロジェクトプランナー/M.T.Visions

研究と設計との関係を築き上げる際どさ

真壁智治

真壁:今回は、『イエスト/家の知討議』に参加いただきましてありがとうございます。ここでは建築家をお二人お招きし、現代の「家」が抱える課題について討議するものです。昨年の一年間は、難波和彦さん(難波和彦+界工作舎)と篠原聡子さん(日本女子大学准教授/空間研究所)を迎えて議論を重ね、このコーナーの土台を造り上げてきました。そして、今回は、高橋晶子さん、小泉雅生さんをお迎えして、引き続き、「家」にまつわる研究と設計についての議論を多角的に広げていくことができればと考えています。そこで、まずは初回ですので、今回はお二方の大学時代から事務所創設、そして大学での教職に就くに至るまでに、どのような研究や設計の薫陶(くんとう)を得てきたかという話をうかがいたい。そして今日見られる住宅設計の、その根拠になっている研究の主題にはどのようなものがあるのかを議論できればと思います。よろしくお願いします。

高橋・小泉:よろしくお願いします。

真壁:まず高橋さんからうかがいます。高橋さんの略歴を拝見すると、1980年に京都大学を卒業されて、その後、東京工業大学(以後、東工大と表記)の大学院へ進まれて、篠原一男さんのもとで学ばれていますが、どのような想いで大学院へ行こうと思ったのですか。

高橋晶子

高橋:何か明確な研究の目的があって大学院に進学したのではありませんでした。1979年に『SD』という雑誌で特集されていた篠原一男先生の作品を見て、この先生のもとで設計を学びたいと思ったのが一番大きな動機です。まさに一地方の大学にいた学生が、雑誌というメディア一冊で進路を変更し、結果、東京の大学院に行ったというわけです(笑)。

真壁:そのころの篠原さんはどのような時期でしたでしょうか。

高橋:ちょうど「上原通りの住宅」(1976/東京都渋谷区)や「花山第3の住宅」(1977/兵庫県神戸市)をつくられて「第3の様式」や"白い抽象的な空間"を展開されていたころですね。機能や使い勝手ではなく象徴ということを考えていらして、従来の"住宅"というカテゴリーとは別のところに力点を置かれていました。私は、大学は京都だったのですが、その理由が、伝統的建築に触れたいとか、美術の側面から建築をやりたいとか、今思えば性能や合理性よりも文化や表現として建築を考える方へ進みたかったからだと感じています。

真壁:「イエスト」の「建築家研究」でも取り上げられていますが、篠原一男さん、坂本一成さん、そして塚本由晴さんという東工大の建築教育の流れの中には、研究を重んじるという部分があると思います。ですので、そこではある成果を求めらたと思われるのですが。

高橋:そうですね。東工大の大学院では、博士課程進学者は設計ではなく論文を提出しなくてはいけませんでした。私が書いた論文は、意味作用注釈:1に関する研究でした。

真壁:あの時代の篠原一男さん、坂本一成さんの取り組みにも通じるものですね。

高橋:そうですね。特に坂本先生がお考えだった文化的な視点やコミュニケーションとしての建築の様相、ということについても非常にシンクロしていました。私が研究の対象としたのは、銀座、新宿、渋谷のメインストリートでした。商店建築も全てファサードの写真を撮って、そこからどういう意味合いを読み取るか、ということを集積してストリートの性格を記述するというものでした。

真壁:当時はちょうどそのような潮流がありましたよね。

高橋:「記号論」というキーワードが建築デザインの中に入ってくるのは、70年代の後半ぐらいでしょうか。それより若干遅れますが、篠原先生はロラン・バルトと親交を深められていたこともあって、ある時先生からバルトの本を読んでみなさいと言われたんです。そこにはかたちが持つ意味作用が論じられていて、それが研究と結び付きました。この研究はそれ以降継続できませんでした。自分の能力に限界があったんだろうと思います。このまま続けると、読み手=分析者にはなれるけれど作り手にはなれないと感じて。建築の研究と設計というものは、お互い補完しあいながら、論点を明快にして次の段階へと進み続けることが理想的な状態だと思います。私の場合、意味作用という研究は設計の手だてと直結するものではないと思いました。それを一種批評としてとらえて、設計というクリエーションに結びつけていく方向に興味がいったのですね。

真壁:なるほど。建築の中で研究と設計との関係の築き方というのは、とても際どいところにあるということですね。

高橋:そうですね。あと東工大の伝統で、あるサンプルから論法を深めるということがあるのですが、それは非常に工学的、技術的な事実としての検証というものがベースにある。そこで求められるレベルも非常に高いです。良い論文を書くことはできませんでしたが、論文を書くことで、まず論点をどのように見つけ、そしてそれらをどう磨いていくのかということは、今でも建築を設計する上で自分に大きな影響を与えていると思います。

真壁:しかし、東工大という場所は、そのくり返される論争や思想が、つくられる建築を伴って、乗り越えられていくとうイメージが今なおありますね。高橋さんもまた設計を通して、諸先輩方を乗り越えようとしているのだと感じます。高橋さんは東工大には何年在籍されたのですか。

高橋:ちょうど6年間です。東工大の大学院に入ったのが1980年で1986年までいました。始めの2年間は主として論文に費やし、後の4年間は篠原先生のもとで設計を実践的に学びました。プロジェクトをめぐって篠原先生といろいろなお話をさせていただいたのが、とても大きな経験でした。

真壁:大学院のときに篠原さんのもとで設計に取り組んでいたのは、住宅だったのですか。

高橋:そうです。篠原先生の自邸である「ハウスインヨコハマ」(1984/神奈川県横浜市)を担当しました。当時はプロジェクトがあると、篠原研究室では最も若い未経験者が担当することになっていて、それを先輩たちがフォローするという体制でした。それには訓練するという教育的意味もあったでしょうし、何か今までとは違うものを新人が生み出していくかもしれないという期待もあったのではと思います。
篠原先生の師である清家清先生のときから、研究室で設計するということは、ラージファームのようなプロの設計行為ではなく、ある意味実験だととらえられていました。ここでは問われるべきテーマに沿って、効率や経済原則にとらわられず丁寧に時間をかけて設計をするんだよ、ということを明言していましたからね。
「ハウスインヨコハマ」も20坪程度の住宅なのですが、8回も見積りをして、設計しては壊すということをくり返していましたね。あの経験によって粘り強さは養えたと思います。

真壁:なるほど。その後、1988年に行われた「高知県立坂本龍馬記念館」のコンペで1等になられて、ワークステーションを設立し独立されることとなるわけですね。

※1:ロラン・バルトの記号論と意味作用についてロラン・バルト(Roland Barthes, 1915-1980)は、音声言語や文字言語だけでなく、絵画、シンボル(象徴的事物)、ジェスチャー、音楽(メロディ)、信号などあらゆる記号の意味作用(記号内容と記号表現の間で相互的に働く作用のこと)を分析し、それら多種多様な記号が、複雑に組み合わせられることによって、人間社会の意味ある事象(行動・儀式・演劇・娯楽・宗教・儀礼)が生み出されると考えた。これはテレビや新聞、インターネット、ラジオ、雑誌といったメディアが民衆行動や社会現象、世論形成にどのような影響を与えることになるのかというメディア論を射程の範囲に捕えているものである。

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