BACK
連載コラム
ボタンを押して、BOOKMARKに追加できます。
BOOKMARKする

家の知/討議 第1タームvol.8 子供と家を語れない世代 西田司

子供と家を語れない世代

「子供2人目も考えているけど、今の仕事をどこまで続けるか判らないし・・・」筆者(33歳/S51生)の周辺で聞かれる日常会話である。家、子供、保険と続く人生の大きな買い物は、日本経済、建築業界と同様に縮小している。筆者の世代は終身雇用と住宅ローンの蜜月関係が崩れていることを実感し、住宅ローンや子育てのキャッシュフローを重ね、先行きを曇らせている人が多い。皆一度は経験してみたいと考え、1人目の子供を産み、家を建て(買い)、難波の言う家族幻想を実践してみるのだ。しかし、そこから毎月送られてくる支出明細にじわじわと首を固められ、同時に篠原が指摘するように、子育てに関して家族に代わるユニットがないことが、女性達の子育てに奉仕する時間の短縮を促し、時間とともに2人目、3人目が産めなくなるのだ。周囲で4人以上子供がいる家庭は皆無に等しい。国立社会保障・人口問題研究所(http://www.ipss.go.jp/)の人口ピラミッドのデータを見ても、1941年生まれの黒沢隆が「個室群住居とは何か」を論じた1968年当時に190万人/年であった子供の出生数は、 40年経た2008年には、約半数の95万人/年へと落ち込み、いまから40年後の2048年には45万人/年へと減少が予測されている。篠原は自著の中で、~~ 人は何かを犠牲にして「共有」関係をつくるが、それはその犠牲に引き換えても良いメリットがあり、そのネットワークが重要だからである。家族が自明の存在で無くなったいま、従来の家族の外側で生きる人々をも視野に入れて、住居について考えなければならなくなっている。~~(変わる家族と変わる住まい/篠原聡子、大橋寿美子、小泉雅生)と述べているが、「個」の時代が続いた反動で、この「共有」の価値や関係性が見直されている。

広場の共有物化(ヨコハマアパートメント)

筆者の近作であるヨコハマアパートメントは、現代版アーティスト長屋である。2階を持ち上げているピロティのような天高5mの屋内広場を、住人たちの制作、展示、生活の共有物とし、2階住居は広場部分と各々の階段により繋がっている。ここでは各住人の活動は、主に個人作業が多く、仕事の共有や趣味の共有はない。しかし、同じ場所に居ながら予期せぬ様々な事が起こる偶発性がこの広場にはあり、実際に筆者も住人の一人として生活を実践していると、驚く程に人の動きが生活を取り巻いていることに気づく。通りがかりの近所の人達は、興味の目で覗き込んでいるし、生活時間の違う学生は、お昼頃眠気覚ましのコーヒーを煎れにくる。画家の住人の知人が遊びに来て、近作の話でひとしきり盛り上がって帰り、灯油を売る配達人は気ままな時間に訪ねてくる。
一日滞在するだけでも、この場所が小さな都市空間、いわば近所のような距離感がある場所だと認識し、人が居るところに生活の器=家があると逆説的に納得する。ここでのコミュニケーションの有り様は、積極的な共同性がなくとも、どこかで気配を感じる状況があることで、感覚的に例えるならスタバでお茶を飲んでいる居心地に近い。

こちらのおすすめ記事もいかがですか?