BACK
設計のヒント
ボタンを押して、BOOKMARKに追加できます。
BOOKMARKする

LIXILのディテールvol.9 原点に立ち帰るための現場での想像力〈前編〉
─ 光、風、風景…、すべてのバランスから導く最適の窓

  • 千葉学建築設計事務所 影沢多恵(かげさわ・たえ) 1980年 横浜市生まれ。2003年 法政大学工学部建築学科卒業。2003年 (有)千葉学建築計画事務所 入所。

    千葉学建築設計事務所

    影沢多恵(かげさわ・たえ)

    1980年 横浜市生まれ。2003年 法政大学工学部建築学科卒業。2003年 (有)千葉学建築計画事務所 入所。

  • LIXIL 圖師丈揮(ずし・たけき) 株式会社LIXIL/商品本部 住宅サッシ 統括部 サッシ商品部 商品企画グループ

    LIXIL

    圖師丈揮(ずし・たけき)

    株式会社LIXIL/商品本部 住宅サッシ 統括部 サッシ商品部 商品企画グループ

  • LIXIL 小林 貴明(こばやし・たかあき) 株式会社LIXIL/商品本部 住宅サッシ統轄部 サッシ商品部 商品企画グループ

    LIXIL

    小林 貴明(こばやし・たかあき)

    株式会社LIXIL/商品本部 住宅サッシ統轄部 サッシ商品部 商品企画グループ

  • LIXIL 水野 智洋(みずの・ともひろ) 株式会社LIXIL/商品本部 住宅サッシ統轄部 サッシ商品部 商品企画グループ

    LIXIL

    水野 智洋(みずの・ともひろ)

    株式会社LIXIL/商品本部 住宅サッシ統轄部 サッシ商品部 商品企画グループ

建築設計事務所に入所し5~10年前後の設計者が抱える既製品への疑問や要望を提示してもらい、ショールームで商品に触れながら開発担当者との直接対話を通し、その解決策や展望を語る「LIXILのディテール」。第5回目は、大学卒業後、設立当初の千葉学建築設計事務所に入所され、事務所の発展とともにキャリアを積み重ねてこられた影沢多恵氏にご参加いただき、既存サッシへの要望や、トステムブランドの新商品「サーモス」についてのご感想などをお話しいただきました。

影沢 多恵(かげさわ たえ)(千葉学建築設計事務所)
圖師 丈揮・小林 貴明・水野 智洋(LIXIL)
司会: 真壁智治 (M.T.Visions)

今回の影沢氏の疑問・要望

――影沢さんは、2003年に千葉学さんの事務所に入所された訳ですが、入所のいきさつについてお話いただけますか?

影沢:実は、当時「千葉学建築計画事務所」については、あまり良く知りませんでした。ただ、千葉個人については、私が学生の時に法政の大学院に教えに来ていて、合同講評会があったりしたのでその存在は知っていました。私が入所したのは、事務所ができてちょうど1年目くらいの時です。学生の頃、槇文彦先生の事務所でアルバイトをしていたのですが、そこでの繋がりから、千葉のところで人を探しているという話をいただいて、トライアルを経てお世話になることになりました。

――2003年というと、まだ千葉さんがそれほど大きな実績を残されていない時期ですよね。

影沢:そうですね。現在の事務所としては、TPOレコメの荏田の集合住宅のコンペを取ったのが、最初の大きな仕事だと思います。タカギプランニングオフィスが主催の約70戸の集合住宅のコンペで、当時若手の建築家の方々が確か5名くらい指名されて参加していました。私が大学4年生の時に実施されたもので、実は私も渡辺真理研究室で参加していたので、そちらで手伝ったことがありました。千葉もあのコンペあたりで、多くの方に名前を知られるようになったのではないでしょうか。

――ただ、その後千葉さんは、「日本盲導犬総合センター」で日本建築家協会賞を受賞なさるなどめざましい活躍をなさっていく訳です。影沢さんは、そういった事務所の発展とともに歩んでこられたという印象がありますが、その点についてはいかがですか?

影沢:そうですね。事務所が勢いを持って大きくなっていくときにその場にいられたことは、貴重な経験だったと思って感謝しています。当時はスタッフもまだ5人くらいしかいなくて、物件も住宅が主で、大きなものと言えば先ほどの「荏田の集合住宅(Platform)」の設計くらいでした。

――「黒の家」の設計は終わっていたのですか?

黒の家(撮影/Nacasa&Partners) 黒の家(撮影/Nacasa&Partners)

影沢:「黒の家」は既に完成していました。この写真ですね。

閑静な住宅街に建つ、小さな都市型の住宅です。入所してから二年後くらいに、たまたま機会があってお邪魔したことがあります。キュービックで無機質な外観ですが、中に入ると、切り取られた窓や吹き抜け、テラスなどから、都市の一角のように周辺環境を垣間みることができて、内と外の微妙な距離感というか関係のつくり方に、千葉の建築の原点のようなものを感じたことを覚えています。

黒の家(撮影/Nacasa&Partners) 黒の家(撮影/Nacasa&Partners)

――スクエアな開口部を持った作品です。このように、千葉さんはコーナー窓を使った開口部の表現が特徴的ですね。

圖師:このコーナー部がすごく印象的ですね。

――次のエポックといえるのが「荏田の集合住宅」でしょうか?

影沢:そうですね。これは都心からすこし離れた郊外の駅前に建つ、賃貸の集合住宅です。外周をぐるりと囲う「ガワ」という細長い部分と、その中央に「アンコ」という市松にボイドを持つ二つの種類のボリュームから、立体的に組み合せてさまざまなユニットをつくりだしています。

――それから、この神楽坂の物件。

影沢:「kif(キフ)」という作品です。1階が店舗、上は集合住宅という構成で、L字の細長い形状の敷地に計画されました。

kif(撮影/西川公朗) kif(撮影/西川公朗)

圖師:ここはFIX窓でしょうか?すべり出し窓のようにも見えますね。

影沢:ここでは開き窓やFIX窓がどれも面納まりで、サッシの色も壁に合わせて黒で統一しています。ランダムに設けられたさまざまな高さの窓からは、神楽坂の風景が見え隠れします。内部空間も路地裏の延長のようにつくられていて、室内にいても神楽坂の空気を感じられるような集合住宅です。

――他にも、七里ヶ浜の「ウィークエンドハウスアレイ」などに代表されるモダンな複合施設や住宅をたくさん手がけられるようになって、事務所の活動がどんどん活発になって行く訳ですが、影沢さんの体験を含めて、当時の状況をお話いただけますか?

影沢:最初は、何か物を尋ねるとしても千葉しかいなくて、まわりは同期か一年先輩のスタッフのみという状況でしたので、とても大変でした。当時から千葉も大学で教えていて、今よりは事務所にいる時間も長かったと思うのですが、すべてのことを教えて貰いながら仕事を進めて行くことは出来ないので、色んなことを自分で調べながら手探りでやっていたように思います。個人的には、学生時代の勉強不足を痛感していて、本を買って勉強しながら、ということもありました。ただ、今思えば、逆にそれが良かったのかもしれないということも感じています。

――事務所開設当初のそういった状況では、サッシの納め方などの問題を解決するのは、かなり大変だったのではないですか?

影沢:当時は、勝手に「こうならないかなぁ…」という絵をひたすら描いていたような記憶があります。(笑)
千葉事務所で私が最初に担当したのは、コーポラティブハウスです。入所して1週間くらいのときに、「じゃあ、これやってください。」と言われて担当することになったのですが、ご存知のようにコーポラティブハウスだとお施主様がたくさんいらっしゃいますね。そうすると当然要望も沢山ありまして、それこそサッシの開き勝手や形状、スチールやアルミといった素材の選択など、さまざまな意見をまとめて行く中で、色々な事をずいぶん勉強させていただきました。

――その物件には、アルミ以外にスチールの建具もあったのですか?

影沢:はい。事務所としても、その頃は特にFIX窓はスチールで、ジャロジーなどの建具はアルミでという流れがあったので、スチールの単窓だけでなく、スチールとアルミの連窓を使ったりしていました。アルミのFIX枠は見付が大きいので、せめて気密性や重量などの影響がないFIXだけでもスチールにしたいと考えていたためです。
最近は、かなり規定が厳しくなったせいでしょうか、設計段階からメーカーの方に相談してもカタログ以上の回答がなかなかいただけないような状況ですが、当時はもう少し自由な雰囲気の中で、(勝手な想像も含め)色々な事を考えながら仕事を進めていっていたように思います。

こちらのおすすめ記事もいかがですか?